お父さんは、歩道橋を手を繋いで歩いてくれた。
家出した時、迎えに来てくれた。
ハンバーガーを一緒に食べてくれた。
膝の上に私を乗せてくれた。
あひるの帽子を買ってくれた。
自転車の乗り方を教えてくれた。
会社に連れてって、椅子に座らせてくれた。
駅のホームから手を振ってくれた。
・
・
・
お母さんは、リビングに絵を貼ってくれた。
目玉焼きを作ってくれた。
髪を結んでくれた。
学校から帰るとお帰りって言ってくれた。
せがむと口紅を塗ってくれた。
香水のいい匂いがした。
風邪をひくと氷枕を作ってくれた。
私の誕生日を毎年祝ってくれた。
・
・
・
お兄ちゃんは靴ひもを結んでくれた。
寝る時、本を読んでくれた。
崖の上の花を摘んでくれた。
怒られると一緒に押し入れに入ってくれた。
大きい方の目玉焼きをくれた。
停電の夜一緒に寝てくれた。
縄跳びをして遊んでくれた。
一緒に電車を数えてくれた。
・
・
・
これって、私が子供の頃の楽しい思い出?
ううん、思い出とかそんな大層なものじゃない。
普段は意識もしない、本当に本当に当たり前のこと、些細なことばかり。
だけどそれは、牡丹雪と共に後から後から降り積もり私の心を満たしていく。
お父さんが、お母さんが、お兄ちゃんが、私にくれたたくさんの記憶。
平凡だけど、穏やかな生活。
そんなずっとずっと遠い昔に忘れていた感覚が溢れてきた。
これって、私の幸せなのかな?
雪は、全てを消し去るために降るんじゃなかったの?
私、ずっとそう思っていたのに…。
だけど今、雪は今まで忘れていた記憶を鮮やかに甦らせながら、私の心を満たしていくように降り積もっていく。
この雪の一粒一粒を足しても足りないほど、私達家族にはたくさんの幸せがあったのに。
なんで今まで…
忘れていたんだろう。
◇ ◇ ◇
ハッとして顔を上げると、ゴーという音と共に吹雪は元に戻っていた。
私はさっきと同じように、雪煙に身を屈める。
そして茫然と立ちつくしていた私の耳に、吹雪の合間に微かな音が聞こえてきた。
私はその音に耳を澄ます。
「カンカン、カンカン…」
確かに警報機の音が聞こえる。
「踏切だ!」
私は気を取り直して滑るように小走りで坂を下り切った。
あともう少しというところで、足がもつれ転ぶ。
「ねぇ、サーシャ」
踏切に着いたことを話そうと声をかけたけれど、すでにサーシャは何も喋らず全く動かなくなってしまっていた。
「サーシャ?サーシャ!?」
長い長い貨物が滑り込む。
「カンカン、カンカン…」
踏切の赤い信号が激しく点灯している。
しゃがみ込んだままの私の鼓動が、それに合わせて激しく高鳴る。
私は背中にサーシャを負ぶったまま、真夜中の人一人いない踏切で、信号の赤い光で真っ赤になった地面にしばらくうずくまる。
私の服もサーシャの血と信号の赤い光でこれ以上ないほどの赤に染まっていた。
病院は踏切を渡ってすぐのところにある。
けれど目の前に開かずのあの踏切が立ちふさがっていた。
こんな状況でも、いつものように地下道を回るしか方法はなかった。
だけどそれは大変な遠回り。
いや、それ以前に私の体力が持たない。
私達には、この遮断機が上がるのを待つより他ないのだろうか…。
そうだ、緊急停止ボタンがどこかにあるかもしれない。
私はサーシャを一度下ろし、くまなく探す。
しかし、その踏切は旧式でそんなものは一切なかった。
こんな吹雪だというのに電車は途切れる気配がなく、私達の行く手は遮断機に塞がれたままだった。
電線を重たく垂れ下げていたシャーベット状の塊が歩道に落ちてきて、私の足元でグシャッと潰れた。
このままじゃ死んじゃう。
イヤ…
辛いのは…
もう、たく…さん…
もう私から、何も、奪わないで。
ここの線路は6本。
この子を負ぶって電車に轢かれずに渡り切る自信なんてない。
だけど、やるしかない。
私は決意したんだ。
この子を地獄には行かさない、と。
私はサーシャをしっかりとおぶり直し、叫ぶ。
「バカヤロー、負けてたまるかよっ!」
背中のこの小さな温もりを私は絶対に消したりしない。
この踏切の向こうに行こう。
この踏切の向こうに、きっとこの子の始まりがある。
きっときっとそこには、この子の新しい家族と幸せが待ってる。
私はそう信じてる。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ありがとう。
サーシャの未来の家族と幸せ、待ってて。
私は、生きてきた17年間に家族みんなからしてもらった全てをバネにして、身体の限界を超える力を振り絞り立ち上がる。
「サーシャ、行くよ!」
私達は意を決して、開かない遮断機をくぐり抜けその中に飛び込む。
死のうとして、向こう側から飛び込んだ時と同じように。
警笛が鳴り響く。
踏切の赤いランプと呼応してドクン、ドクンと心臓が音を立てる。
一瞬、背中が温かくなるのを感じ、流れ込むように身体の中にも暖かさが巡る。
二人の身体が一つになるような感覚。
電車のライトの大きな光が、踏切の中に入った私達を一瞬にして飲み込む。
だけど今度の私は、目を閉じず見開いていた。
――生きるために。
電車の車両が迫る。
背中が熱い。
身体が軽くなる。
それは、まるで…
羽根が生えてふわっと浮いているようだった。
そして――
-------------------------
※オリジナルノベル
【小さな天使が眠るとき】
(公開中)より抜粋
女子高生 レズ 流れ出ちゃったよね。。。